たしかにがんは答えだった。

自分をばらばらに分解して
思いもよらなかった方法で
組み立てなおすためには必要だったのだ。

動画作りました。
耳から聴くのが良いかたはこちらをどうぞ。

タイトルだけで敬遠してた本
読んでみたら・・・

今、新しく本を手に取って読み始めています。

これまで【がん】で検索すると
ヒットしてきていた本なのですが、
タイトルで勝手にふわふわした本だと
受け取って敬遠していました。

 

読み始めて気づく・・・

 

そうだった
【スピリチュアル】という言葉は
日本語と英語では
かなりニュアンスが違うんだった。

 

私はまだ、全19章の最初の3章目を
読んでいる途中ですが
この本とても良さそうな印象です。

 

なぜがんになったのか?

がんになったら、
みんな自問してしまいますよね?

 

なぜ私はがんになったのか?

 

どうして私なの?
私よりも他に、いっぱい
悪いことした人はいるのに?

 

なぜ、よりによって
がんという病気になっちゃったの?
もっと簡単に治る病気だってあるのに

 

 

 

この問いに対する答えとして

この本には
こんなタイトルの一節があります。

 

がんが答えだった。

 

なぜがんになったのか?

なぜなら
がんが答えだったから・・・。

なんだか禅問答のようですね。

 

 

この本の一節
はじまりはこんな感じです。

がんが答えだった というのが、
ある友人が初めて告知を受けたときに
私に語った言葉だ。

 

『私、これまで人生でずっと
   なにかを探し求めてきたのよ。
   お酒もドラッグも、その他
   考えつくものはなんでも試してみたわ。

  40年間もうつ状態で生きてきて、
  いっそ死なせてと祈ったこともあった。
  でね、がんがその答えだったのよ』

 

うーん。
なんか・・ズガーンと来るな、これ。

 

 

この本の著者
マクファーランドさんも
自分を回想してこう書いています。

私の予定表は、
がんのおかげですっかり白紙になった。

もう、なんのやましさを感じることもなく
やり残しも出さずに死んでいける。
なにかするなどということは、
今の私に求めようがないのだ。

病気はなんという
ゆがんだ安らぎをもたらすものか。
期待をいっさいかけられずに
こうして横になっているだなんて。

 

ゆがんだ安らぎ

 

ああ、私も【ゆがんだ安らぎ】を
感じてたな・・・・。

 

私は、がんの検査の開発をしていて
がんになったんです。35歳の時のこと。

ああ、これで、私にも
何にも脅かされない
存在価値
ができた・・。

そう思ってホッとするくらい
私は自信がなく
自分の価値を低く低く見ていました。

 

 

あなたは、どうでしょうか?

もしかしたらもうご自身の
深い無意識的な意味合いに
気づかれているかもしれません。

 

なぜがんになったのか?

なぜがんという病が
【打って付け】だったのか?

 

これに気づくことって、
人によっては、とても大きな癒しになるなぁ・・・
と私は感じています

 

がんになってから
新たな問いがやってくる

がんが
私たちの無意識の祈りに対する
答えだったとして・・・

著者のマクファーランドさんはこう続けます。

なるほど、
がんが必要だったのは
この世を去るため、あるいは
悩みを一掃するためだったとしよう。


ではそこから先は

どうすればいいのか?


どうでるべきか?

 

からだを丸めて、
自分のストーリーに
“終わり”と書き込むだけ?

それとも、なんとかして対決する?

 

がんになって
ひとつの答え(変化)を得て、
そこから始まる新たな地平

 

がんになると、みんな
この地平に立つんだと思います。

 

さぁ
あなたはどうしたいでしょうか?

あるいは
どうすることを選んだでしょうか?

 

 

 

私は何者なのか?

マクファーランドさんの
文章を引用しながら続けます。

がんは答えだった

でもそこへまた
新たな問いがやってくる。


自分にとって大切なものはなにか?

人生の意味とは?

愛はどこにあるのか?

 

友だちがそうだったように、
人は、酒、お金、学歴、出世、セックス、
権力、仕事、スリルなどの
間違った方向に愛を探し求め、
なにかすることで
人生を満たそうとしてきたのだ。

 

だががんになった今
問われているのは

『自分はなにをするか』ではなくて
『自分はなに者なのか』だ。

 

 

 

ああ・・・。

 

『自分はなにをするか』ではなくて

『自分はなに者なのか』

Doing ではなく Being で生きる。

 

 

そう・・・

 

なにをするか? をいったん横に置いて

【どうあるか?】に
意識を向けるようになると
満たされる感覚に繋がれます。

これを私に教えてくれたのは
美しい自然と
マインドフルネスの
暖かい眼差しでした。

 


先日の神戸森林植物園にて

 

最後に
私が痺れまくった文章をお届けして
終わりにしますね。

 

たしかにがんは答えだった。
自分をばらばらに分解して、
思いもよらなかった方法で
組み立てなおすためには
必要だったのだ。

ただし、
死やがんそのもの が
必要なのではない。

それらは単に
愛が足りないことを
自覚させる方法に
すぎないのだ

今日も最後まで読んで下さって
ありがとうございました

 

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