玄侑宗久さんと 土橋重隆さんの対談本
『死と闘わない生き方』を
読んだことありますか?
私はこの本に出会ったときにね
そのまま書かれている
とホッと安心したんですよね
もし良かったら この記事を通して
どうしてわたし達は
『がん』になるのか?
をちょっと生命科学や哲学的な
目線で一緒に考えてみましょう
私の中にあった違和感
『死と闘わない生き方』
の第一章のタイトルは・・・
排除するだけでは病気は治らないです。
うん。なかなが刺激的
実は私もね
2005年にがんになった当時から
『がんを排除する』という考えに
違和感がありました。
何故でしょうね・・?
深い所まで自分の心理を突き詰めると
わからなくなりそうですが・・
ただ1つ言えることは
がんは元々
自分の細胞だった
ということが大きいと思います。
そして
がんを手術で切除しても
放射線で焼いても 抗がん剤で叩いても
100% 大丈夫ってことにはならないこと。
さらに
どんなに頑張って治療して
生き抜いても、年をとれば
いつか人は死ぬという事実。
そんなことをぐるぐる考えていると
いったい我々人類は
ナニをヤッテイルノダ?
みたいな
SFムービー的な気持ちになったんです。
(あっ、ちなみに私は
三大療法否定派ではありません。
私自身は標準療法を受けました。)
いのちの意図
人間も生命です。
私は科学を学ぶ中で
生命のしくみに
神秘と驚異を感じてきました。
例えば・・・
卵子が受精して分化しながら成長し
最後に個体として生まれてくるまでの
精緻なしくみ
細胞が分裂する際に働く無数の分子や
それらが織りなす見事な反応ステップ。
本当に神秘的で驚異でしかありません。
人類の進化や
生物が生まれて死んでいく営みには
なにかとても合理的な法則や
個体を超えた大きな意図があるに違いない。
そんな風に思えてくるのです。
ではいったいなぜ
私たちは
がんみたいな命に関わる病気になるの?
個体を超えた大きな意図
生きる ことと 死ぬ ことを超えて
生命が意図することって何?
もし
個体を超えた大きな意図
があるとしたら・・
それは、個体が滅びても
消え去らないものであるはず・・・。
私が自問自答の末、行きついた答えは
『精神の成長と拡大』でした。
・・
・・
・・
なんだかとっても壮大なことを書いちゃって
自分でもどうまとめようかと、
汗が流れ始めています・・(頑張ろう)
このことを
自分たちの人生に引き寄せてくると
結局、私たちは
成長するためにがんになった
ではないか?と思うのです。
がんをどう受け止めるか?
私は、がんを
神様からの罰とは思っていません。
子供の頃一番違和感があったのが
『地獄』の概念です。
なんで神様ほどの人が、(人じゃないか?)
わたし達を裁いたり、罰を与えたりするの?
なんか根本的にヘン。
個体を超えた意図をもつほどの
壮大な存在が
人を裁いたり罰したり
そんなチッポケなことをするだろうか?
そんなわけないよ!
と私は思うんです。
いのちは
生まれたら自然に成長するように
プログラムされています。
太陽も水も土も
生きることに必要なものは
すべて無償で与えられています。
そんな風に、
生きることを前提とした環境にいる私たちが
がんという病気になるとしたら
それは・・
いのちの流れから外れているよ
戻ってきてというお知らせか
個をこえて果たすべき
お役目があるのか・・
いのちは消えてなくなるものではなく
循環するものと私は考えています。
あなたは、どう思われますか?
今日は
私の自問自答、個人的な考えに
お付き合い下さり
ありがとうございました。
良かったら
あなたの考えもお聴きしたいです。
冒頭でご紹介したのはこの本です
『死と闘わない生き方』玄侑宗久 土橋重隆
(注)『生きる 死ぬ』という水色の単行本を
改題して携書化したものです。
目次を載せておきますので
興味がある方は是非手にとって
読んで見て下さいね。
はじめに 生と死の向こう側へ
第一章 排除するだけでは病気は治らない
ガンになる臓器と生き方は対応している
本物のガンでも治ってしまう人はいる
ガンは治療どころか診断すらしないほうがいい?
インフルエンザ予防ワクチンも意味がない
ガン細胞はとても健気な存在
より良く生きるためにガンが現れる
病気はその人の体の中で意味があって起こる
菌を殺せばいいというわけではない
「衛生」は排除の思想
同じような生活をしていても夫婦の死因は違うことが多い
第2章 死と闘わない生き方とは
亡くなった人の生き方を聞く
病気を治す「薬師如来」と心身を癒す「阿弥陀如来」
日本人にとって死は「無くなること」ではなく「どこかへ行くこと」だった
自分の不完全さを教えてくれるのが病気
治そうとしない人が逆に治ってしまう
心と体は別に考えてはいけない
「身につける」世界を取り戻す
自我がなくなる体験が生き方の変化につながる
日本人は「魂」の存在を信じてきた
第3章 ガンになる「性格」「生き方」がある
ガンは「心の病気」
左乳ガンと右乳ガンの患者は生き方や性格がまるで違う
メンタルなストレスとフィジカルなストレス
肺ガンの患者は病気を怖がる人が多い
胃ガンの患者はとにかく生真面目
凛としている人が多いすい臓ガン
ガンを放置していても元気な人がいる
効かないとわかっていながら抗がん剤を使うケースが多い
ガンによって生き方が変わったとき、ガンが治る
病気を排除しようとする思いが治癒を妨げる
第4章 医療の仕組みがこわれる時
「山分けシステム」の中にいる医者は患者のことなど考えていない
手術の達成感よりも大きかった患者さんからの言葉
医療はもともとお布施で成り立っていた
医学は本来、科学には収まりきれない
内視鏡と自分が一体になる職人的な世界
手術は成功しても治らない-「自分はなにをやっているのか?」
病気ではなく「人」を診たい
医学というのは、勘や直感がもっと働くべき世界
暗記力だけで医者になれるという問題点
切る治療から原因にアプローチする治療へ
第5章 「死後」と向き合う
輪廻の思想は日本には入ってこなかった
「お地蔵さん」は日本流にアレンジされた仏像
患者さんが死ぬ瞬間、何かが「抜けた」感じがある
生と死の境界を決めるのは難しい
日本人はじっと耐えるが、最後はス―ッと諦める
閻魔様の質問はたった2つ-「好きなことをやってきたか」「楽しかったか」
ここが浄土にもなり地獄にもなる
第6章 ガンは「概念」の病気
ガンは考えすぎることで起こる病気
理性は生命の働きを弱めてしまう
一本の植物になって風になびいてみる
脳に集まりがちな意識を全身にめぐらせる
「私」を削ぎ落していくと、相手に思いが通じる
もっと具体的に即した生き方を
ガンが治る人は、ガンを最終的には自分の味方にしている
自分がいいと思っているもの、常識だと感じていることは絶対なのか?
第7章 「不二」の思想と出会う
物事を二つに分け、片方を否定して片方を肯定するのは良くない
「病気は悪いものだ」という考え方が変われば世界が変わる
たえず変化していくことを愛する
関係性の世界から見れば病名など必要がない
長所も短所も存在しない
むやみに病気を治そうとしてはいけない
日本をまとめるシンボル「富士」は不二
対立するものが共存できる国、日本
敵も味方も同じように祀る
ガンも悪者にせず、受け容れていける
前提を持たずに考える「哲学的思考」のすすめ
土橋重隆
流動のなかの生老病死 玄侑宗久
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